東石室



採れたてピチピチの情報をお届けします。
今回は画像が多いので、そのつもりで。

これは墳丘全体を南西から。
東西約40m、南北約30mの方墳。












上の写真は南側から。
向って右が東石室。

左の写真は墳丘の表面。
地山の上の盛土には版築でつき固められた地層が
残ってます!



( ̄□ ̄;)!!




周囲にはさまざまな遺構が。

これは古墳周囲の整地層。




それでは、東石室から見学。

この東石室が墳丘と同時に造られたそうです。
中央下に露出している石材は、石室内から地下を
通って出ている排水溝の石材。

また、両石室の開口部は閉塞石ならぬ閉塞土
封鎖されてました。



( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー




開口部をアップ。

・・・下からだとほとんど見えん・・・



(´Д`;)




では、墳丘上から。

奥壁側から石室全景。
石室全長約13m、玄室長約6.5m、幅約3.1m、現存
高さ約3.1m、羨道長約6.5m。




羨道部分には排水溝の石材が残存!


エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?


これはそのまま地下を通って外まで続いてるそうです。



(*´д`*)ハァハァハァアハァ




そして玄室内には家形石棺が残存!

これは熊本の阿蘇凝結凝灰岩(阿蘇ピンク石)
作られた超ブランド品!
これだけでも、この古墳の被葬者の権勢が分かろうと
いうものです。



(;´Д`)スバラスィ ...ハァハァ




反対側から。

非常にキッチリした造り。
蓋石が二つに割れてます。




改めて石室全景。

両袖式。

この石室は6世紀末の築造。
推古天皇とその王子の竹田皇子の墓との見方が
ありますが、そうすると先に亡くなった竹田皇子の
墓かも・・・



(・ω・` )




墳丘上から南を。

かなり広範囲に周囲が整地されてたようです。




墳丘北側から。




東の春日神社から。

右上の台地に杭が打ってありますが、これは後世の
藤原京時代のものとか。
長期にわたって管理されてたことが分かります。






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